目に見えている世界は人それぞれみんな違う。『目の能力』について学ぶ。
YouTubeチャンネルつくりました⇧
脳科学とか、心理学を学びながら「美学」を追求することを目指しています。よろしくお願いします。
今回は、「視線」について。
何故ひとは視線に気が付けるのか。
目が合っていないのに、「あ、あの人こっち見てるな。」って、分かりますよね。
凄いことだと思うんですけど、何故かってイマイチ分からない。
ということで、色々調べてみたんですけど、
結局分からなかったです⊂⌒~⊃。Д。)⊃ もう一考すべし。
結局、育ちだよねって。環境だよねって。そういう結論になってしまったのですが、
とてもしっくりきました。
SADも日本人が特に多いそうですし、♬社交不安障害研究
控えめな、おしとやかな雰囲気を美とする国では当たり前のことなんじゃないかなと。
だからそれも、こうして海外との交流が増え、移民が増えたりすればだんだん薄れていくのではないでしょうか。
ただ「目線」「視線」の大切さは、失いたくないなとも思います。
人間、というか目を持ついきもの特有の能力ですし、それは目が見えない人も同様、
目で見るだけじゃない、身体の全部を使って見る、今までの人生全部を使って見ているからこそ、自分だけの価値観や見解が出来るんだと思うし、
それが人それぞれ違うっていうのが面白いですよね。
全ての人が分かり合えないし、分かり合えるのは、見ているもの、見てきたものが違うから。
noteには書きましたが、目の能力って、超凄いので、気になる方はそちらも是非⇩
人の記憶は操作出来る
動画派はこちら⇧
人は何故記憶出来るのか出来ないのかっていう、暗譜出来ないわたしの日々の議題ではあるんですけど、疑問を調べてみました。
脳ってすごいや。
脳科学の研究は凄いスピードで進んでいるみたいですね。
へえー!!そうなんだ!!すっごおおお!!!て思ったことが5年前のことだったりとかざらにあります。(わたしがアホなだけってのもある)
色んな分野で、研究が進んでいて、昨日言われていたことと今日言われていることがまったく違うことだったりとかもありますもんね。
教科書の書き換えとか。
ただ中でも脳科学の分野は、人間を直接的に人為的に支配、操作できる分野のひとつだとも思うので、使用する時は正しい用法容量を守ってほしいものですね(ΦωΦ)
アルツハイマーが治せる、ボケない、忘れた記憶を取り戻す。
プラスの医療に使われることはあっても、果たしてそれが倫理的に正しいのかすらもはや分かりません。
わたしがおばあちゃんになるまであと2,30年。
2,30年もあったらどんなに進歩していることでしょう。
可愛い可愛い姪っ子ちゃんがおばあちゃんになるまであと60年。(60歳がおばあちゃんだとしたらね♡)
あと60年後・・・・。
医療も何もかも進歩しまくって、もはや死ぬことが難しそう。加齢、老衰で死ねるうちが動物みがあっていいのかもしれない・・・。
子供の将来を案じてオーガニックのものを食べさせたりデジタルから遠ざけたりしても、この子達が大人になるころはきっとそんなこと関係ないんだろうなあ・・・
注射1本、レーザー1回照射とかで全ての機能が回復したりして。
果たして地球はどうなっていることやら\(゜ロ\)(/ロ゜)/
本当の自分探しってなに?今の自分は嘘の存在なの?
サルトル・・・子供時代とは、因果関係によらずに過去と現在とを結びつける柔軟な時間性を意味する。
ニーチェ・・・子供時代は大人時代の後に、物事の重みを忘れたときにやってくる。
前後の文脈などが分からないので、どういう意味で書かれたのか分かりませんが、二人の哲学者による「子供時代とは」という言葉です。
今わたしが思ったのは、
子供の頃の習慣とか、子供の頃の記憶とか環境とか、
そういうものが今の自分をつくっているとは限らない。
今の自分は今現在に起こっている自分だ。
みたいなことを漠然と感じました。
といっても、子供の頃の自分も自分だし、生きてきた過程があるわけだから繋がっていることは事実。
将来の「自分」に夢と希望を持って今ここまで生きてきたわけですからね。
生命の延長線です。
でも、その過去と今はまったく別物、別者という考え方もあると思います。
生物学的とか物理学的に考えるのと、哲学的に考えるのとでも意味が変わってきそうですね。
今この瞬間から生まれ変わって、自分は何者にだってなれるんだ!と、一念発起して行動する自分も自分、
子供の頃から同じ夢を追い続ける自分も自分だし、
どちらも過程は違うけど今この瞬間頑張って生きている自分は共通している。
ニーチェの言う大人時代のあとにやってくるっていうのはどういう意味でしょうね?
物事の重みを忘れたとき・・・。
酸いも甘いも経験して体験してやり尽くして、ってことでしょうか。
物事の重みは確かに忘れることはありますね・・・・?
わたしにはもうすぐ3歳になる姪っ子ちゃんがいますが、
それはそれは可愛くて、なにもかもが新鮮で元気ではつらつとしていて、
瞳が転げ落ちそうに、いつもキラッキラと輝いています。
初めて見る物なんかにはそれはそれは感情をあらわにして喜んだりはしゃいだり。
自分の子供時代も、何か思い出に残っているものはやはりあって、
それを思い出す時には鮮明に、良いことでも悪いことでも色鮮やかに蘇ることがあります。その時の周りの環境や人の表情、自分の感情も思い出します。
本当は悲しかったとか、わたしもやりたかったとか、嬉しかったとか。
そういう体験や記憶が今の自分と関係なくはないですよね。何かしら繋がっていると思います。
だからどうだってことはないんですけど。
で、そういう気持ちって、大人になってからだって全然経験することであって、
子供だから新鮮とか、初めてとか、そういうことでもないんですよね。
そういう意味でもサルトルの因果関係によらずにっていうのは・・・ある・・・?
意味分かんなくなってきたのでやめます。
先日、「本当の自分さがし」的なテーマをメディアで見て、
よくありますよね、このテーマ。
だいたい、過去を掘り下げられます。
子供のころ夢中になったのはなんですか?とか。
あとは現在のことでも、苦労なく出来る事はなんですか?とか。
これで本当の自分が見つかった人はそれはそれでいいんですけど、
わたしなんかは多分一生見つからないので、もう諦めています。
このテストでも、過去の自分、今の自分、どっちもでてきて、
過去の自分は否定しない。というかもう終わったことだし、過ぎた時間を消すことも否定することもできませんからね。
でも逆に、今の自分を「こんなはずじゃない」とか、「もっと自分はこうなれるはず」とか、否定しちゃっている気持ちになってしまうんですよね。
要するに、
過去を否定出来ないように、今の自分だって否定出来るはずないんだと思います。
変えられるのは今から1秒先から。未来だけ。
本当はこうなりたいっていうのは絶対思うし、特にわたしは自分を全否定してしまうタイプなのでそれでしかないのですが、
もう無理なもんは無理なので、
「こうなろう」と思うようにしています。
未来のこと。
他人を羨ましく思ったり、自分を嫌ったり。
新しい自分になろう!過去のわたしとはおさらばだ!と決意したり。
多分きっと、そんなことは、無い。
この世には存在しない。
きっとこうなれるはずって、感じながら今この瞬間を生きることが大事で、
ダラダラ何もせずレッスン当日を迎えてしまったわたしもわたし、
今立ち上がって歩いていくのもわたし、
過去と今と未来の自分、全員違うけど全員繋がってる。
本当はこう、とか、本当のわたし、とか、
多分その言い方が腑に落ちないのかな・・・。
じゃあわたしって、誰?自分のことが嫌いなのはなぜ?本当のわたしはもっと素敵で凄くて、輝いてる?
考え方はとっても良いし、頑張る気持ち、プラスな気持ちになって前へ進めることは良いことだから、
きっとこうなれるはずって、生きていくしかないのだろう。
今まで生きてきたひとつの生命体としての自分と、これから素敵になれるはずのわたしとは違う誰か知らない自分、
全部自分。
結局、気持ち次第だよな。
と思う今日この頃です。
なんのはなしやねん\(゜ロ\)(/ロ゜)/
とにかく、わたしは子供のころアンダーソンが大好きで、
今もクラシック音楽が好きなのは結局そういう影響があるよねっていう\(゜ロ\)(/ロ゜)/
可愛らしい曲なので聴いてみてください~♬っていうかきっとどこかで聴いたことありますね♬
ベートーヴェン生誕250周年を締めくくるにはこの曲!!
ということで、ミサ・ソレムニスです。
最晩年の大作です。
第九よりも少し前に作曲されましたが、この曲が出来上がるころに
ベートーヴェンは第九の作曲にも取り掛かっています。
内容としては、ミサ曲、教会音楽ですが、
宗教としてだけでなく、
カトリック教会の神様だけでなく、
全世界の、全人類の平和のための音楽だと思います。
宗教観、政治観などに柔軟な思考を持っていたベートーヴェンは、
カトリック教会だけにとらわれず、
インドの宗教を勉強したり、フリーメイソンの思想を取り入れたり、
特にわたしが凄いなと思ったのは、
女性に対して、家庭や職場で、要するに社会で弱い立場なのはおかしい、
社会的権利がもっと強くあるべき、
家庭では、女性だけが家事をしたり子育てをしたりするのはおかしいと、
18、19世紀に生きる中で、女性の権利のことをこんなふうに考えていたなんて
とてもびっくりしました。
ベートーヴェンは頑固者というイメージが強いですが、
芸術に対して真面目で厳しかっただけで、
本当はすごーーーーおく優しい人だったと思います。
残っている手紙や日記などに書かれたものを見ると、
凄く謙虚で、忠実で、特に道徳心とか人の心の分かる人なんだなあという印象があります。
ベートーヴェンに限ったことではないですが、
大成している人はやはりみんな凄い努力をして、勉強をして、
練習をして、過去の先輩から学び、
そこから自分へと繋げている感じがします。
先人を甘んじないというか、常に新しいことをしつつもその裏では歴史の勉強をしっかりやっているんですよね。
ベートーヴェンは耳が聞こえなかったので、人嫌いになったとも言われています。
会話に入れず、だけど自分が耳が聞こえないと周りに公言できなかったベートーヴェン。
自分は音楽家なのに耳が聞こえないなんて、屈辱とか羞恥と感じていたようで、自分はこの世界で一番醜いとすら言っています。(ノД`)・゜・。
話しかけても答えない、会話に入ってこない、人々はそんなベートーヴェンに無視されたとか、ぶすっとしてるとか、そんなふうに感じたことでしょう。
ベートーヴェンも日記の中でそのように書いています。
「本当はみんなと話したい、笑い合いたいのに、みんな僕を変人のように見ている。
本当は違うのに、その視線が耐えられない。」
と、だんだん人を避けるようになっていきます。
心がいたい(ノД`)・゜・。
だけどそんな苦難を乗り越えベートーヴェンは、
人々のために、世界の平和のために音楽を作り続けます。
自分の音楽は貧しい人、苦しい人、心が綺麗な人のためにあるといっていたベートーヴェン。
どんなに苦しくても他人のために、知らない誰かのために力を注いでくれました。
そんな、愛と平和を歌うこの曲は、
年末にぴったり!!!
是非聴いてみてください。
上のYouTubeの概要欄にも少し解説書いています。
初めてのクラシック音楽♬優しく解説♬Beethovenの曲をいくつかご紹介
❇2020はベートーヴェン生誕250周年❇
いろんなイベントが開催される予定だったのでしょうね。
どうせ中止でしょ、と、なんだか調べる気もなくなっちゃって、今年はずーっと自粛してました。
といっても、わたしは普段から引きこもりやってるんで、社会が自粛だろがあんまり関係なかったんですけどね(*_*;
でもだからこそ、普段外出しないからこそ今年は色んなコンサート行くの楽しみ!!と思ってたので、ちょっと悲しい・・・
そして、わたしは作曲家ではBeethovenが一番好きなので、だけど全然知らないので、これを機にちゃんと勉強し直したいと思います(`・ω・´)ゞ
今回はいくつか曲をご紹介。
まず、ピアノ曲、バガテル。
6つの方はちょっと難しいですが、7つの方は初めて聴く方にもおすすめの、可愛らしくて軽やかな雰囲気の曲です。
バガテルとは、「ささやかなもの」という意味。
7つのバガテル
この曲が発表されたのは1802年、ベートーヴェンは耳の病気が悪化して、あまり音が聞こえなくなっている時期でした。
精神的にもかなり弱っている状態で、遺書と呼ばれる手紙も書いています。そんな時にできたこの曲。
精神面とは裏腹に爽やかな綺麗な曲です。
こんな綺麗な曲の裏側で、死ぬ程の苦しみを抱えていたのかと思うと。
この年、ベートーヴェンは他にもたくさん作曲していて、最も多くの作品が生まれた年でもあります。
きっと、自らの病に絶望しながらも、それを受け入れて進むと決めた、強い決意があったのではないでしょうか。
そして6つのバガテル。
こちらは、1823年から1824年にかけて作曲され、ピアノ曲としては最後に作曲された作品です。
同じころ、ピアノソナタも最後の作品が完成し、約30年に及ぶピアノソナタの創作が終結しました。
他にも、約4年に渡る期間を費やしたミサ・ソレムニス、演奏時間50分以上という超大作のディアベリ変奏曲。さらに貴族からの作曲依頼に応えたりなど、休む時間は無かったそうですね。
そしてこんなに忙しい中、体調はどんどん悪化していきました。
この後も作曲は続けられますが、1827年3月、ベートーヴェンは亡くなります。
チェロやヴァイオリンなどの弦楽器は、とっても歴史が古いので、
音楽を奏でるうえで昔から人々の近くで活躍していました。
手軽に持ち運べて、どこでも演奏できるので、宴の時なんて大活躍だったでしょうね。
ベートーヴェンが生まれる頃には現在のチェロのような形にはなっていましたが、
多分それでもまだまだ進化の途中。
バッハの無伴奏チェロ組曲なんか有名ですが、当時はどのような楽器で演奏されて
どのような音が出ていたのでしょうか。
弦も今の弦と違って、金属やスチールなどではなく、羊の腸から出来るガット弦というものが使われていました。
今もガット弦はありますが、特にチェロなんか大型楽器にはあまり使いませんね。
もちろんピアノも無く、チャンチャンチャン♬チャラチャラ♬みたいな音のするチェンバロが使われていましたね。
Vivaldiのチェロソナタなどはチェンバロで録音されたものが多く、きっと当時もこんな音で演奏されていたんだろうな、
という美しい演奏が聴けますよ(*^^*)
ベートーヴェンの時代は、各楽器がほとんど最終形態に落ち着き、
楽器の構造や音色をさらに突き詰めていました。
その時その時の楽器がそれぞれ最高ですから、今は今の楽器でどれだけ演奏できるかということが大事だと思います。
どうしたって当時の音は出ないわけですから、
バッハの曲はオルガンじゃないと!古楽器じゃないと!!というのは多分少し違っていて、
・・・まあ、好みですよね(>_<)
ピアノを知らないバッハが書いた楽譜を、ピアノしか知らないわたしたちが演奏するんですから、
なんとも不思議なことです。
それはベートーヴェンも同じで、バッハやヴィヴァルディよりも後に生まれたベートーヴェン、どんどん楽器も進化を遂げる中で、
新しいピアノを目の前にして、自分の音楽を作り続ける中で、
やはり彼自身もずっと進化し続けていたんですね。
ピアノの改良、ヴァイオリン、チェロの進化を見届けていく中でも、
ベートーヴェンがさすがなのは、
常にバッハやハイドン、モーツァルトの音楽を研究し続けていたことです。
古いものを古いものとしない、
何度も何度も読み返して、そんなこと誰もしなかったことを常にしていたんですね。
ベートーヴェンが活躍し出した1800年前後、
音楽界も常に新しいものが求められ、バッハやヴィヴァルディを演奏しようとする人はあまりいませんでした。
ベートーヴェンが斬新で新しい音楽を発表し続ける裏で、そんな先人の研究を熱心にしていたことは、当時の人は知らなかったのではないでしょうか。
このチェロソナタの最初の方には、尊敬する先輩たちの面影が少しのこっています。
是非聴いてみてください(*^^*)
❇心のケアに❇
わたしはいつも、心がズタズタになってきたなーと感じたら、
とりあえずBeethovenの本を読んだり、尊敬している人のことを思い浮かべたりしながら、お気に入りの曲を聴いたりしています。
そうするとじんわりと回復してきます。
その時その時で、テンション上げたい!!とか、今はちょっとリラックスしたいなとか、音楽って心のケアにも繋がると思います。
心を豊かにすること、大切なことを思い出すこと、
また頑張ること、
自分を労わること、
音楽、美学が救ってくれることって、凄くたくさんあるんですね。
自分の心のよりどころ、というものがいつも傍にあることを感じているだけでも、また頑張れるので、そういうものをひとつ持っておくといいですね。