本当の自分探しってなに?今の自分は嘘の存在なの?

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サルトル・・・子供時代とは、因果関係によらずに過去と現在とを結びつける柔軟な時間性を意味する。

ニーチェ・・・子供時代は大人時代の後に、物事の重みを忘れたときにやってくる。

前後の文脈などが分からないので、どういう意味で書かれたのか分かりませんが、二人の哲学者による「子供時代とは」という言葉です。

今わたしが思ったのは、

子供の頃の習慣とか、子供の頃の記憶とか環境とか、

そういうものが今の自分をつくっているとは限らない。

今の自分は今現在に起こっている自分だ。

みたいなことを漠然と感じました。

 

といっても、子供の頃の自分も自分だし、生きてきた過程があるわけだから繋がっていることは事実。

将来の「自分」に夢と希望を持って今ここまで生きてきたわけですからね。

生命の延長線です。

 

でも、その過去と今はまったく別物、別者という考え方もあると思います。

生物学的とか物理学的に考えるのと、哲学的に考えるのとでも意味が変わってきそうですね。

今この瞬間から生まれ変わって、自分は何者にだってなれるんだ!と、一念発起して行動する自分も自分、

子供の頃から同じ夢を追い続ける自分も自分だし、

どちらも過程は違うけど今この瞬間頑張って生きている自分は共通している。

 

ニーチェの言う大人時代のあとにやってくるっていうのはどういう意味でしょうね?

物事の重みを忘れたとき・・・。

酸いも甘いも経験して体験してやり尽くして、ってことでしょうか。

物事の重みは確かに忘れることはありますね・・・・?

 

わたしにはもうすぐ3歳になる姪っ子ちゃんがいますが、

それはそれは可愛くて、なにもかもが新鮮で元気ではつらつとしていて、

瞳が転げ落ちそうに、いつもキラッキラと輝いています。

初めて見る物なんかにはそれはそれは感情をあらわにして喜んだりはしゃいだり。

 

自分の子供時代も、何か思い出に残っているものはやはりあって、

それを思い出す時には鮮明に、良いことでも悪いことでも色鮮やかに蘇ることがあります。その時の周りの環境や人の表情、自分の感情も思い出します。

本当は悲しかったとか、わたしもやりたかったとか、嬉しかったとか。

そういう体験や記憶が今の自分と関係なくはないですよね。何かしら繋がっていると思います。

だからどうだってことはないんですけど。

で、そういう気持ちって、大人になってからだって全然経験することであって、

子供だから新鮮とか、初めてとか、そういうことでもないんですよね。

 

そういう意味でもサルトルの因果関係によらずにっていうのは・・・ある・・・?

 

意味分かんなくなってきたのでやめます。

先日、「本当の自分さがし」的なテーマをメディアで見て、

よくありますよね、このテーマ。

だいたい、過去を掘り下げられます。

子供のころ夢中になったのはなんですか?とか。

あとは現在のことでも、苦労なく出来る事はなんですか?とか。

これで本当の自分が見つかった人はそれはそれでいいんですけど、

わたしなんかは多分一生見つからないので、もう諦めています。

 

このテストでも、過去の自分、今の自分、どっちもでてきて、

過去の自分は否定しない。というかもう終わったことだし、過ぎた時間を消すことも否定することもできませんからね。

でも逆に、今の自分を「こんなはずじゃない」とか、「もっと自分はこうなれるはず」とか、否定しちゃっている気持ちになってしまうんですよね。

 

要するに、

過去を否定出来ないように、今の自分だって否定出来るはずないんだと思います。

変えられるのは今から1秒先から。未来だけ。

本当はこうなりたいっていうのは絶対思うし、特にわたしは自分を全否定してしまうタイプなのでそれでしかないのですが、

もう無理なもんは無理なので、

「こうなろう」と思うようにしています。

未来のこと。

他人を羨ましく思ったり、自分を嫌ったり。

新しい自分になろう!過去のわたしとはおさらばだ!と決意したり。

 

多分きっと、そんなことは、無い。

この世には存在しない。

 

きっとこうなれるはずって、感じながら今この瞬間を生きることが大事で、

ダラダラ何もせずレッスン当日を迎えてしまったわたしもわたし、

今立ち上がって歩いていくのもわたし、

過去と今と未来の自分、全員違うけど全員繋がってる。

 

本当はこう、とか、本当のわたし、とか、

多分その言い方が腑に落ちないのかな・・・。

じゃあわたしって、誰?自分のことが嫌いなのはなぜ?本当のわたしはもっと素敵で凄くて、輝いてる?

 

考え方はとっても良いし、頑張る気持ち、プラスな気持ちになって前へ進めることは良いことだから、

きっとこうなれるはずって、生きていくしかないのだろう。

 

今まで生きてきたひとつの生命体としての自分と、これから素敵になれるはずのわたしとは違う誰か知らない自分、

全部自分。

結局、気持ち次第だよな。

と思う今日この頃です。

なんのはなしやねん\(゜ロ\)(/ロ゜)/

とにかく、わたしは子供のころアンダーソンが大好きで、

今もクラシック音楽が好きなのは結局そういう影響があるよねっていう\(゜ロ\)(/ロ゜)/

可愛らしい曲なので聴いてみてください~♬っていうかきっとどこかで聴いたことありますね♬

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それからこちら⇧
友達ゼロ人、ぼっち世界大会圧倒的勝者のわたしがおススメする絵本、
≪カングル・ワングルのぼうし≫
著者のエドワード・リアさんは、詩人、作家さんではありますが、ぼっち界のカリスマでもあります。
ぼっちと言いつつも学校、仕事に行ったり、バイトに行ったり、何かしら社会に出ているわたしたちですが、(圧倒的勝者のわたしはニートですので社会にすら出ていません)
リアさんは身体が弱く学校にすら行っていませんでした。
だからこそ出来たこの世界観、というものもあると思います。
それを芸術として、作品として、表現しているのが、アーティストって凄いですよね。
カングル・ワングルのぼうしにやってきた動物達は、みんな見事な色彩で、姿かたちも異形。
顔を見せない、カングル・ワングルにはこれが見えたのか。この色が見えていたのか、楽しい音楽が聴こえていたのか。
見えたし聴こえたのでしょうけど、きっとそれもどっちでもいい。
見えなくていいし聞こえなくていい。のが引きこもりの信念であります。笑
ただその自分だけの気持ちが意外と周りに与える影響ってあるんだよってことだと思います。
周りっていうのは人とか環境じゃなくて、もっと小さなこと。
小さなことに気が付けるかどうか。で、それが大きなことに繋がるんだと思います。